青森県十和田湖畔に立つ、高村光太郎晩年の代表作。十和田湖の自然の偉大さ、深遠さを表現した彫刻であるとともに、光太郎の心の中に生きていた妻・智恵子の残像を具現した裸婦像でもある。ふたりの女性からなるこの作品は、よく見るとまったく同一の裸婦像を向かい合わせに置くという極めて異例の構成である。昭和初期に光太郎が追求した事物の本質を抉るような研ぎ澄まされたフォルムは影をひそめ、柔和で穏やかな肉体が静かに表わされている。
高村光太郎(1883〜1956)は明治の彫刻界の重鎮、高村光雲の長男として生まれ、彫刻家への道を進んだ。東京美術学校(現・東京芸術大学)時代にロダンを知り、西洋に触れることによって、やがて旧態依然たる彫刻界から離れ、独自の彫刻世界を築きあげた。近代日本彫刻史上極めて重要な作家のひとりである。また、「道程」「智恵子抄」などの詩集でも知られる。